こんにちは!「ここりずむ.com」運営者のともぞうです。
ここりずむ.comでは、社会不安障害やパニック障害、世の中に生きづらさを感じている全ての人が「自分らしく生きる」をキーワードに、自分らしくをサポートするための「ライフハック」をお届けしています。
最近では、社会不安障害で悩む方から「こんなときどうしたら良いですか?」とお問い合わせを頂けたり、伝えたい方に情報が届いているのだなと嬉しいこともありました。
そこで、感じました。
伝えたい方にきちんと情報が伝わるように、改めて「ここりずむ.com」が発信する内容や僕の人生についてきちんと執筆しようと。
そうすることによって、訪問してくださった方が「自分だけじゃない」と思えるかもしれませんし、当ブログへの理解にも繋がるかなと思ったからです。
ここでは、今さらながら、運営者ともぞうのプロフィールについてご紹介します。本当に今さらですが、見てくださると嬉しいです!
- 運営者ともぞうについて
- 小児気管支喘息で自信を失った小学生時代
- 社会不安障害を発症した中学時代
- 強烈ないじめを受けた高校時代!社会不安障害が悪化
- 高校を卒業し闘病する日々。
- 精神保健福祉センターがきっかけで症状克服のきっかけを掴む
- まともな学生生活が送れた介護専門学校時代
- 介護職なら社会不安障害でも仕事ができた
- 自信がついた僕はWeb制作会社に転職し撃沈
- クラウドソーシングでいきなりフリーランスに
- ここりずむ.comが発信したいこと
- ここりずむ.comおすすめ記事
運営者ともぞうについて
運営者 ともぞう
年齢 現在30歳(執筆時)
職業 Webライター(フリーランス)
1988年生まれで、ゆとり第二世代。同年代には、新垣結衣さんや、松坂桃李さん、パフューム、プロ野球選手田中将大さんなど、ゆとり世代ながら多数の大物を世に送りこんでいる。
そんな僕は社会不安障害×コミュ障で、妻と4歳の息子と暮らすパパでもあります。
・幼少期
重度の小児気管支喘息を患う
・小学生時代
喘息が理由で救急車で3、4度病院搬送、入退院を繰り返す
・中学生前期時代
頭が悪くスポーツができない劣等生活
・中学生後期時代
社会不安障害と会食恐怖症を発症
・高校時代
自己視線恐怖症や会食恐怖症が悪化、不登校を経験
・高校時代〜1年間
闘病期間&社会生活が困難に
・介護専門学校時代
徐々に日常生活が送れるように
・介護職時代
充実した日々を過ごす
・Web制作会社時代
会社に馴染めずすぐに退職
・Webライター時代 ←今ここ!
小児気管支喘息で自信を失った小学生時代
3歳から重度の小児気管支喘息を患いました。
発作がひどく、なんども学校に救急車を呼ぶほど。
重度の喘息であったため、外で遊びたい時期にも外で遊べず体育の授業もほぼ見学。
「自分は皆と一緒に運動ができないんだ」と徐々に自分に自信を失いました。その結果、どんどん性格が内向型に。
頭が悪く、バカにされることも多かった。
友達にパンツを下ろされたり、先生に名指しでバカにされたりと僕の劣等人生はここから始まったと言っても良いです。
それでも、小学生ということもあり、まだ無邪気に遊べる範囲で遊んでいました。この頃は、内向型だけどまだ明るかったです。
社会不安障害を発症した中学時代
今までバカにされてきた経験から「いつか見返してやる!」との思いで、人生初の猛勉強!
中間テストでクラス下位だった成績から、なんとか上位にランクイン。今まで、自分に自信がなかった僕が初めて自信を持てた日。
徐々に自分に自信をつけたことで天狗になり、その時は突然訪れる。
昼休み、遊びで行っていた卓球で、クラスの女子に本気でスマッシュを打ち込むという空気を読めない行動し、それ以降、いじめの対象に。
(これは当時の記憶に基づくものです。)
給食時に、女子から「食べ方が鳥みたい」と言われたことをきっかけに「自分は普通の人と違うの?」と疑問を持ち始める。
「また悪口を言われたらどうしよう」と周囲が気になりだし、徐々に人前での食事が怖くなった。
これが僕の社会不安障害の始まりで、会食恐怖症のはじまりだった。
強烈ないじめを受けた高校時代!社会不安障害が悪化
頭が悪かった僕でしたが「人を見返す」という理由から猛勉強し、なんとか地元の進学校に進む。
しかし、同じ中学出身の女子達と同じクラスになり「また悪口を言われるのではないか」と異常に周囲が気になる。
悪口を言ってそうな人を探すことが日課になった。
この頃から、それまで人と話すときはその人の顔だけしか見えないくらい集中していたのに、周囲を気にしすぎるあまり、話している人の背後や横など視野が拡大したかのような謎の症状に悩まされる。
そう、視線恐怖症の始まりだった。
昼食の弁当も緊張して食べられず、視線恐怖症で授業の黒板を見ることもできず、席についても脇見恐怖症で、自分の両サイドを肘で塞いで授業を受けていた。
どんどん社会不安障害が悪化した頃、食事が怖いにも関わらず、その誘いを断れず友達とそのお母さんと行った回転寿司で、史上最大の症状が発症する。
緊張MAXの状態でお寿司を食べようとしたとき、首が左右に痙攣。
その光景に衝撃を受けた友達のお母さんは、びっくりしたのか何口も食べていない寿司を前に店を出る。
これがきっかけで、僕は傷心し、自信をさらになくすことに。
その後は、高校に通っても症状が悪化するばかりで、これまで友達だった人からもすれ違いざまに「キモイ」、「気持ち悪い」と言われ、ときには差別用語でいじめを受ける。
そして不登校に。僕の中では、一番の暗黒時代が高校だった。
これまで仲良かった友達も離れていき「人が恐ろしい、人は信用できない」周囲は敵だとしか思えなかった。
高校を卒業し闘病する日々。
「自分はおかしいやつ」だと思いながらも、とある書籍と出会い、人生が変わる。
その書籍がこちら↓
神経症について深く提唱した「森田療法」に関する本で、僕はすがる想いで読み漁った。
これまで僕は、原因不明の症状に悩み続けて「自分はおかしいやつ」だと思っていました。
しかし、この本に出会ったことで「僕と同じ症状を持つ人がたくさんいるんだ」とすごくほっとした気持ちになったことを今でもよく覚えています。
不登校で、僕の夢だった医療系大学への進学も諦め、何1つ楽しくなかった高校時代を卒業し、やっと入り口に立てた気がしました。
自分の症状の原因が、社会不安障害であることが理解でき、それから臨床心理士にお世話になったり、精神保健福祉センターに通い、薬物療法や、認知行動療法、自律訓練法などの精神療法を受けました。
特に印象的だったのが精神保健福祉センターです。
「デイケア」というプログラムがあり、同じ悩みを持つ人同士が、パン作りやスポーツを一緒にしたり、外出プログラムではスーパーに買い物に行く練習をします。
これによって悩む者同士の相互理解と、共助の精神を学ぶことができます。
精神保健福祉センターがきっかけで症状克服のきっかけを掴む
臨床心理士から自律訓練法を学び、精神科医から認知行動療法を学ぶことによって、「自分の目線が人に迷惑をかけているのではないか」という強い思いを少しずつ解き放てるようになりました。
もちろん薬による治療も平行し、過度な不安や緊張が緩和されたことも大きかったです。
そして何よりも、精神保健福祉センターのデイケアに通えたことが大きかったです。デイケアには、様々な人がいます。
うつ病の人や僕と同じ社会不安障害を持つ人など、さまざまな人と接することで、視野が広がります。
僕はこのデイケアで社会不安障害の克服につながるとあるきっかけがありました。
その日もいつも通り、デイケアに通いパン作りをしていました。
僕は、その日洗い物担当で、パン作りで使用した調理器具を洗っていたんですが、洗い場の高さが低く、僕は腰が痛いのを我慢していました。
すると、とある女性メンバーが僕を見て言いました。
「ともぞうさん、腰痛くないですか?」
「よかったら私が洗いますよ。」
僕はこのとき、腰が痛いそぶりもしていなかったつもりだったので、すごく驚いたのと同時にすごく心が温まり、「ありがたいな」と素直に思いました。
今まで自分の症状のことで精一杯だったけれど、他の人のことも気遣える関係性は素晴らしいと気づき始めます。
そして、思いやりの心で接してもらったその女性に対して「今度は僕が手伝えることはないか」考えはじめました。
この経験をきっかけに、「自分のことばかり考えていたのでは他の人のピンチにも気づけない」と我に返りました。
そして、僕にある変化が。
自分のことではなく、他の人が困っていないか考えていたとき、視線恐怖症や会食恐怖症が薄れていることに気づいたんです。
「これだ!」
思いやりの心で、お互いにwin-winの関係を意識すれば、相手も嬉しいし、自分の心も嬉しい。
そのときこそ、症状が良くなるのかも!
そんな思いやりの法則を実践してみると、今までの症状が薄くなっていました。
そして僕は、様々な人のサポートを得て、なんとか日常生活が送れるようになり、精神保健福祉センターを卒業することに。
精神保健福祉センターは、全国にあります。精神的な悩みや病気、対人関係や性格上での悩み、ひきこもり、摂食障害、アルコール・薬物・ギャンブル依存症などを相談できます。電話相談だけでなく、来所相談も予約制で対応していますので、気軽に問い合わせてみてください。
まともな学生生活が送れた介護専門学校時代
中学・高校とまともな学生時代を送れなかった僕にとって、久しぶりの学校。
ただ、社会不安障害やパニック障害を完全に克服したわけではなかったので、不安でしかなかったです。
そんな不安を抱えてまで介護の専門学校に入学した理由は、介護という仕事なら「思いやり」という人として大切なことを仕事にできると思ったからでした。
また、僕が通った専門学校の試験が小論文だけだったことも、学業から離れていた僕には大きかったです。(笑)
そして、おそるおそる入学すると、社会不安障害の僕を温かく迎えてくれた友達がいて、久しぶりに充実した学生生活が送れたんです。
卒業までの2年間は、暗黒時代の高校の頃からは想像もできないほど、学業にも熱中し、友達とも充実した時間を過ごせました。
介護職なら社会不安障害でも仕事ができた
介護専門学校を卒業した僕は、地元の特別養護老人ホームに就職しました。
視線恐怖症や、パニック障害がある僕にとって就職は最大の不安が伴いましたが、面接で勇気を出して「対人恐怖症を持っていて、」という話しをすると、理解を示してくださり、僕を受け入れてくれました。
入社してやっていけるか不安でしたが、入社してみると、僕が行う介護サービスに対して利用者様は「いつもありがとう」と声をかけてくれ、僕自身も承認欲求が満たされ、人に認めてもらえた喜びを感じ、すごくやりがいがありました。
これまで人からいじめを受けていた僕が、やっと人のために仕事ができる。嬉しかったですね。
「ここりずむ.com」の過去記事でも解説しましたが、介護職は極端な話し「困っている人に寄り添いケアする対面サービス」です。
対面で介護サービスを行うからこそ、直接「ありがとう」と言われることも多いし、それによって、また人のために頑張れる。
人のために頑張るからこそ、自分の殻に閉じこもることなく社会不安障害の症状も気にならなくなっていきました。
社会不安障害でも仕事ができることで「小さな成功体験」が積み重なり、自信につながったのです。
介護職が、社会不安障害やパニック障害の人でも比較的就職しやすい理由はここにあります。
自信がついた僕はWeb制作会社に転職し撃沈
社会不安障害があっても、介護職として勤務し4年の月日が流れました。
自信のついた僕は、重要な役職を任せられるなど、すごくやりがいを感じていました。
一般的に介護職は、給料が低いとか、大変なイメージがあるかと思いますが、幸い僕が就職した法人は、なんとかやっていけるほどのお給料をもらっていました。
しかし、充実していた介護職に疑問を持つようになります。
「一生介護職で良いの?」
そんな言葉が頭をよぎりました。
人にバカにされたきた人生でしたが、バカにされてきたことによって「向上心」だけは身についており、介護以外の世界も見てみたいと当時の僕は思ったのです。
特に、介護の世界だけだと視野が狭くなってしまうのではないかと思い、Webサイト制作者への憧れを抱くようになります。
そして、その憧れを現実にするべくオンラインプログラミングスクールや専門書を購入し、Web制作会社に無事に転職できました。
ところが
入社すると、その日のノルマに追われる日々が続きました。慣れない作業でしたが、必死でついていこうとするうちに、キーボードが手汗でびっしょり。
また社内がすごく静かで、私語などはほとんどなく、キーボードを叩く音のみが響く環境で、緊張した状態が続きました。
(Web制作会社全般のイメージではありません。)
介護の仕事は、職員や利用者様の話し声が響き渡り、話しやすい空気感がありました。また、ノルマ等もないため、過ごしやすかったのかもしれません。
Web制作会社という初めての環境にうまく適応できず、自分の仕事が遅いことで残業続き。心に余裕がなくなっていったのです。
そして、出社すると強い吐き気に襲われるようになりました。
この間は、気持ちも長く持たず、つらい日々が続きました。人間関係もうまく構築できず「できない新人はいらない」とも言われるように。
これでは自分がダメになってしまうと感じましたし、妻からも「辞めたら?」と言ってもらえたので、退職を決意しました。
このとき、視線恐怖症なども悪化しており、仕事に集中できない状態だったため、今となっては辞めて良かったなと思っています。
クラウドソーシングでいきなりフリーランスに
Web制作会社を、わずか4ヶ月で退職した僕は、今後どうしようか途方に暮れていたとき、スマホ片手に調べていると「ブログ」や「クラウドソーシング」で生計を立てている人が結構いるということを知ります。
その人たちは、フリーランスとして食べていてブログやクラウドソーシングで、会社に縛られることなく生きています。
僕は敏感気質で、周囲の人に合わせることで非常に疲れてしまい、また社会不安障害もあり、会社が合わない人間なんだと、ここでやっと気がつきました。
そんな僕にとって、会社に縛られずに生きれる手段は、理想でした。
「僕だってできるはずだ」
根拠のない自信だけはあった僕は、早速ブログを開始します。
しかし、書いても書いても収益にならず撃沈。
次に クラウドソーシング「ランサーズ」 に登録し、人生で初めてライターとして仕事を開始します。
クラウドソーシングには、業界未経験でも開始できる仕事がいくつか登録されていて、ライターはその中の1つでした。
僕は、子供もいましたし、焦りもあり、未経験でもできるならとすがる思いでライター業をスタートさせたんです。
ところが、2017年4月に開始して、その月はまともな収入は入らず、貯金が底を尽きる寸前に。
ただ、僕にはこれしか生きる道がないと思っていましたので、必死でライティングを継続しました。
その結果、6月には約152,000円、10月には約380,000円を手にすることに。
必死でライティングを継続したことで、なんとか生計を立てることができました!
このあたりから、僕は自信がついてきて「落ちこぼれでもやればできるんだ!」と確信します。
コミュ障や社会不安障害で、会社が苦手な僕が、生きる術を身につけた瞬間でした。
ここりずむ.comが発信したいこと
社会不安障害やパニック障害があったり、生きづらさを感じている人でも、きっかけをつかみ「自分の人生を生きて欲しい」。
そんな思いから「ここりずむ.com」を立ち上げました。
「こうあるべき」は捨てて、自分の人生を掴み取るための、ほんの少しの役に立てたら幸いです!
今は、以前と比較するとクラウドソーシングやブログ、プログラマーなど「自分らしく生きる」ための手段が増えました。
一緒に自分らしい生き方を模索しましょう!
「ここりずむ.com」では、会社に縛られない生き方や、緊張や不安におすすめのアイテム、クラウドソーシング、 Webライター業について発信しています。
今後とも、どうぞよろしくお願い致します!
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